喜寿の百姓の迷いをAIに書いて貰いました。

畑のお仕事

 4月に入り世の中、トランプ関税&経済失速と騒がれていますが、コロナウィルスとかトランプ関税による経済活動の停滞は地球にとっては優しいことかもしれません。とりあえず、今年は猛暑でないことを願っています。
そんな中でも春になれば、ツバメの飛来と自然の芽吹きとともにお百姓さんは食料生産に動き始めます。しかし、今年は百姓の基本方針が定まりません。(不惑はとっくに過ぎたのですが) 
 そこで下記の喜寿の迷い箇条書きをブログ風にAIに纏めてもらいました。当たり前ですが文章能力は私より遥かに優秀です。

①百姓も自然の循環を意識した農法に変えていくべきではないか? 
・ただ、いい作物を作るために石油由来の資材を投入するのはいかがなものか? 
 ・自分の作物の出来の悪さの負け惜しみから方法転換しているのでは?
②とは言ってもどのように自然循環に即した農法をやっていけばいいのか? 
・youtubeにはいろんな自然農法もどきが紹介されているがどれがいいのか? 
 ・結局、今の畑でいろんなやり方を参考にしながら試行錯誤しかないかな?
③この試行錯誤が失敗の連続と次にやることのエンドレス化を強いて、ボケ防止と身体のフル稼働をドライブすると信じましょう?
④自給自足『食うに困らん』というマインドと、百姓は『粋』と思って。
⑤また、春になって芽吹き、夏に実り、秋に種を残し、冬に枯れて肥しとなる輪廻を感じながらお百姓をやっていきます。

ブログ風に纏めてとAIお願いした文章

喜寿の迷い – 自然と共に歩む百姓への道

不惑はとうに過ぎ、喜寿を迎えた今年、私は百姓としての基本方針について深く考えさせられています。これまでの農法を続けるべきか、それとも新たな道を模索すべきか。その迷いと決意を綴ってみたいと思います。

自然循環への思い

長年百姓として畑と向き合ってきた中で、最近強く感じるのは「百姓も自然の循環を意識した農法に変えていくべきではないか」という思いです。石油由来の化学肥料や農薬に頼って「いい作物」を作ることが、本当の意味での「良い農業」なのだろうか?

正直なところ、自分の作物の出来が思わしくないからこそ、方法を変えようとしているだけなのではないか、という自問自答も繰り返しています。負け惜しみからの転換ではないかという懸念も拭えません。しかし、地球環境のことを考えれば、やはり自然と調和した農法への転換は避けられない道なのでしょう。

試行錯誤の日々

とはいえ、具体的にどのように自然循環に即した農法を実践していけばよいのか。YouTubeを見れば様々な自然農法が紹介されていますが、どれが自分の畑に合っているのか、すぐには判断できません。

結局のところ、今ある畑で様々な方法を参考にしながら試行錯誤を重ねていくしかないのでしょう。失敗を恐れず、一歩ずつ前に進むしかありません。

失敗から学ぶ喜び

この試行錯誤が失敗の連続となり、次々と新しい課題に取り組むエンドレスな日々を強いることになるでしょう。しかし、それがボケ防止になり、身体を活発に動かす原動力になるのだと前向きに捉えていきたいと思います。

百姓の心得

私が百姓を続ける原動力は二つ。「食うに困らん」という自給自足のマインドと、百姓は「粋」だという誇りです。これからも、この二つの心を大切にしていきたいと思います。

自然の輪廻と共に

春になれば種が芽吹き、夏に実り、秋に種を残し、冬に枯れて肥しとなる。この自然の輪廻を肌で感じながら、これからもお百姓を続けていきます。喜寿を迎えた今だからこそ、より深く自然と向き合い、共に歩む農業の道を模索していきたいと思います。

迷いながらも、春の訪れとともに、また新たな一年の農作業が始まります。

ョットと恰好良すぎる文章だから不良老人風に纏めてとAIにお願い

オレの喜寿 – ガラにもない自然農法への挑戦

不惑なんてとうの昔、今じゃ喜寿だぜ。てなわけで、今年もまたオレの百姓人生、どう転ぶか分からんってのが正直なところだ。若い衆に「こうすりゃいいんだ」なんて偉そうに言えるほど、オレは百姓で成功なんかしちゃいない。

化学肥料にケツまくったオレの後悔

長いことやってきた百姓だが、最近になって「あれ?このままでいいのか?」って思い始めた。石油まみれの肥料と薬品どばどば使って「いい作物」作ってるつもりが、実は自然をぶち壊してるだけじゃねーのか?

正直に白状すると、去年の作物の出来が悪かったからって逃げてるだけかもしれん。「負け犬の遠吠え」ってやつだ。でもな、夜中に目が覚めると、こんな農業続けていいのかって本気で悩む。老いては子に従えというが、若い奴らの言う「持続可能」とかいう言葉、あながち間違いじゃないかもしれん。

老人の試行錯誤は止まらない

そんなこった考えて、YouTubeなんてもん見始めた。若い奴らがピチピチした顔して「自然農法」だの「無農薬栽培」だの言ってる。どれが正解か分からんが、正解なんてもんはないんだろうな。こっちは喜寿のジジイだ。残された時間で、畑で好き勝手やらせてもらうぜ。

かみさんには「また新しいことを始めて、中途半端にするんじゃないよ」って呆れられてるが、死ぬまで中途半端でいいじゃねえか。完璧を求めるより、死ぬまで試行錯誤してた方が楽しいってもんだ。

失敗上等!死ぬまで現役

ボケ防止?そりゃ大きなお世話だ。でも農業やめたら、オレは間違いなく寝たきりになる。畑があるから動く。失敗続きの試行錯誤が、このジジイの体をフル回転させてる。「年寄りは大人しくしてろ」?冗談じゃねえ。死ぬまで現役、それがオレのやり方だ。

ジジイの意地と誇り

「食うに困らん」ってのがオレの百姓の原点だ。スーパーに頭下げなくても、自分の畑から食えるってのは最高の贅沢だぜ。それに、「百姓は粋だ」って思ってる。土と太陽相手の百姓ほど、カッコいい商売はねえよ。会社のスーツ族なんぞに負けるもんか。

ジジイと自然の輪廻

春になりゃ芽が出て、夏に実って、秋に種残して、冬に枯れる。そんな単純な輪廻を見ながら、オレも季節とともに生きてる。喜寿過ぎたジジイの身体も、そろそろ冬に近づいてるってことか。でもな、春はまた必ず来るんだ。

畑に出て、背中を伸ばして空を見上げる。「まだまだ、やれるぜ」

迷いながらも、反骨心丸出しで、今年も土と向き合う喜寿のジジイ、ここに参上。

 本当は、私のお百姓はサラリーマン後のお遊びでしかないのですが、お遊びの悩みをAIに纏めて貰いました。今、Podcastの古典ラジオで『科学技術の歴史』が始まりましたが、火の発明からAIまで語られるようです。そのくらいAIはインパクトがあるようです。

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