先日、近所のYさんがお庚申様の祭りに使う竹(のぼり旗)を切らせてと言ってきました。
『まだ、やっているんだ!』と思わず。
近所にお庚申様のお堂があり、数年前にリニューアルされました。このお祭りは8月26日に今でも行われているようです。
庚申信仰は、後で詳しくAIに聞いて、紹介します。

最近リニューアルされたお庚申様。
昔は、もう少し大きなお堂で、子供が遊べるくらいの大きさでした。周辺には大きな杉の木があり、鎮守の森の雰囲気でした。
私が子供の頃は、このお庚申様を金塚様と呼んでいました。ここはお堂兼集会所兼兼子供の遊び場を兼ねたコミュニケーションの場でした。ここのお祭りが8月26日でカラクドウ(?)と言っていました。小学生以下の子供達で仕切るお祭りでした。
まず、寄付集めに一軒一軒お願いして回る仕事がありました。(すでに、子供にお金を集めさせるとは教育上よろしくないという風潮が出始めていました。)きっと、このお金でお供えのお菓子を買って、そのおさがりを頂いたのでしょう。
また、8月26日の夜は子供達だけで明かすのが、習わしでした。(寝てしまいましたが)
翌朝になると近所のお母さんが、蓮の葉にのせた五目御飯を供えるので、それが朝食でした。
子供時代(1955~1960)の夏休み最後の大イベントでした。
この習わしを経験した最後の世代です。
AI(Cloude)にお庚申様について聞いてみました。
新潟県南区庄瀬第一地区に伝わる独特の庚申信仰
日本の民間信仰の一つである庚申信仰は、地域によって様々な形で発展してきました。新潟県南区庄瀬第一地区では、この信仰に関する興味深い伝統が今も記憶に残っています。
この地域では、庚申信仰の対象を親しみを込めて「金塚様」と呼んでいました。「金」は庚申信仰の主尊である青面金剛を、「塚」は庚申塚や庚申堂を指すと考えられます。この呼称は、地域の人々と信仰の緊密な関係を示す貴重な例といえるでしょう。
さらに特筆すべきは、8月26日に行われていた子供たちが主体となるお祭りです。この日、子供たちはお堂に集まり、夜通し過ごす習慣がありました。これは「カラクドウ(唐口道)」と呼ばれる庚申信仰の神秘的な側面とも関連している可能性があります。
このような伝統は、子供たちの自主性や協調性を育む重要な機会となっていたと同時に、地域の結束を強める役割も果たしていたと考えられます。農業が盛んなこの地域では、庚申信仰が豊作祈願や農作物の守護とも結びついていたかもしれません。
庄瀬第一地区の「金塚様」を中心とした習慣は、新潟県の民間信仰の多様性を示す貴重な文化遺産です。このような地域特有の伝統を記録し、保存していくことは、日本の民俗学的研究にとっても重要な意義を持つでしょう。
現代では、生活様式の変化により、このような伝統的な習慣は減少傾向にあります。しかし、それだけに、こうした記憶を語り継ぎ、地域の歴史と文化を守り伝えていくことの価値は、ますます高まっているといえるでしょう。
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