5月も中旬になり、木々は新緑、田植えされた田んぼと清々しい季節です。
今年は町内のお祭りの当番に当たり、お神輿の準備や各世帯へのお実穀配りでした。しかし、この町内も子供がいない老人所帯が多く、100kg近いお神輿は担ぎ手がいません。ただ神社の前でお祓いを受けるだけとなってしまいました。さびしい限りです。
私がこの町内にお世話になった昭和50年代は、それは賑やかな住宅地でした。
50年前の町内の様子
この町は昭和30年代に入植した昭和5年~20年生まれの方達が多くいました。サラリーマンもいましたが、職人が家で仕事をしているという方々が多くいました。大工、板金、溶接、塗装、建具、畳、左官、旋盤、電気工事と親方について独立した最後の世代の人達でした。
皆さん働き者で、早朝(5~6時)から仕事の音がしていました。たぶん、まだ牛馬に頼っていた頃の農家の次男、3男で多く、子供の頃からよく働いていたのでしょう。
ある時、この職人さん達が町内を盛り上げようとキブトコ会(寿町の反対)をつくり、いろんなイベントをやることにしました。
職人さん達が、自分が子供の頃に村で楽しかったイベントを、この町内の子供達にも楽しませ、自分たちも楽しもうという思いが一致していました。
(皆さん40代、私が一番若く30代前半でした。)
そして春はお祭り、夏は納涼会、秋は遠足、そして冬は餅つき大会、塞の神、雪上運動会と、いつも大勢の子供達の歓声と飲んだくれ大人達のエネルギッシュな光景がとてもなつかしいです。
今その職人さん達の大半はあちらの世界で遊んでいらしゃいます。

お神輿を作ることになり、毎晩、仕事が終わってから塗装屋さんの作業場に集まりつくりました。雑誌の写真のお神輿を見て、それから図面を起こしつくったお神輿です。3か月くらいで完成。職人達の底力はすごかった。(それに比べサラリーマンは形見が狭かった。)

晩秋の頃から、萱刈、藁集め、豆殻集め、竹伐採、杉のご神木伐採と材料を準備するのに5日くらい休日返上でした。
ここも大工さん達が大活躍。

年末には近くの養護学校で近所の子供達と一緒に大餅つき大会でした。
前の晩から奥さん方がもち米の準備をして総出でのイベントでした。

いつもイベントには大釜でコンニャクや豚汁を振る舞うのが恒例でした。
私は酒が飲めないので、いつもトラックでこの大釜の運び役でした。
これからのコミュニティは?
この昭和世代のエネルギッシュな職人さん達は、いつも酒を飲みながら、子供達をからかい作業をしていました。今、思うととても多様性と許容に富んだ明るく、豊かな町内だったと思います。
この職人さん達には、『子供は村の宝、皆で育てる』というDNAを持っていた最後の世代かもしれません。
子供達と大人達が一日中、愉快に過ごせる空間を四季折々につくってくれた今は亡き職人さん達は偉かった。
私の娘2人もこの恩恵をあずかりました。
・縄文の世界もこんなだったかも?
・これからの豊かなコミュニティをどうやってつくっていくかは、あの職人さん達のような行動力あるのみ。(世の中の分別が先立ちすぎ➡小人閑居して不全をなす窮屈な時代?)
・それにしても子供の声がしない町は寂しい限りです。


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